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Serge Petitgirard

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    ここ2〜3年フランスのピアニストを重点的に聴いている。コルトーの弟子であるセルジュ・プティジラールもその中の一人。

    私にプティジラールを「ノクターン弾き」として印象づけることになったモノラルEP盤がコレ。「2つの夜想曲 Op.48」というだけで演奏には期待せずに購入したが、これが嬉しい大誤算だった。夜想曲の古い録音については片っ端から聴いているが、プティジラール盤は5本指に入るだろう。

    「Op.48-1」は劇的でスケールの大きな演奏をするピアニストに好まれるが、私はこういった演奏にはあまり関心が無い。しかし、中間部でも必要以上に盛り上げず、テーマの再現部からコーダまでの感情の襞を丁寧に歌い上げるプティジラールの演奏には溜飲の下がる思いだ。繊細さと明晰さを併せ持ちながら、程よいスケール感と独特のフレージングで聴き手を飽きさせないという芸当はなかなか出来るものではない。おそらくプレイエル使用だと思うが、決してブリリアントではなく、少し乾いた感じのいぶし銀のような音色。こういう演奏で聴くショパンにはまさに理想的なピアノだといえる。Irene Scharrerのアコースティック盤、Leo Sirotaの放送録音、ルビンシュタインのステレオ盤などに並ぶ名演奏だ。

    一方、裏面の「Op.48-2」は目立たない佳曲だが私は何故かこの曲が大好きだ。人気がないのか古い録音は極端に少ないが、まず思い浮かぶのがLeopold Godowskyの電気録音。これはテンポが速過ぎるのと、弾き飛ばしているとしか思えないようなよそよそしさに首を傾げずにはいられない。Godowskyともあろう人が何故こんな演奏なのだろうか?対してVictor Gilléの演奏は何物にも代え難いほど魅力的だが、その他はYakov Zakの幻の名演とLev Oborinの演奏くらいしかめぼしい録音が見あたらない。ショパンの作品中、特に「夜想曲」や「ワルツ」はテンポ設定が好みに合わないと聴くのが辛い場合が多いが、プティジラールの「Op.48-2」もやはり速すぎるのだ。しかし、ストレスを感じるどころかまた聴き返したくなってしまうのは実に不思議である。「なるほど、こういう解釈もあるんだな」と、むしろ聴き入ってしまう。

    とにかくプティジラールは実に優れた「ノクターン弾き」なのだ。この他にも多くの「夜想曲」や、「ワルツ全集」、「マズルカ」、「舟歌」、「即興曲全集」をモノラル期のLPに沢山残している。簡単にそれぞれの演奏に触れておくと、「ワルツ」はリズムをハッキリとさせずむしろ故意にぼやかしたような演奏、対照的に「マズルカ」は乾いたテイストで舞曲という部分を打ち出している。「舟歌」は少し肩すかしをくらった気分だが、「即興曲集」は「第二番」「第三番」あたりが非常に名演だ。どうやらプティジラールは、和声のつかみ方と、たゆたうようなリズムに、独特の息づかいを吹き込めるような曲で持ち味を行かせるタイプのピアニストのようだ。

    いずれにしても1950年代のフレンチ・ピアニズムの香りを楽しめること請け合いだが、やはりプティジラールの一押しは「夜想曲」である。一時期、CDでも一部が復刻されていたらしいが、アナログ盤も大して稀少盤ではないので気をつけていれば手に入りやすい。ぜひショパン好きの皆さんとシェアしたいピアニストの一人だ。

    あぁ、奇麗なビニール盤を磨くのは、ラクチンだなぁー。


    Marie-Madeleine Petit

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      Marie-Madeleine PetitMarie-Madeleine Petitという女流ピアニストがいた。寡聞にしてあまり詳しい情報も提供できないが、イーヴ・ナットなどに習い、ジュネーヴ国際音楽コンクールにフィオレンティーノなどと並んで1947年第二位入賞。1950年代に入ってから33回転の7インチ盤を二枚リリース。それが、ここで紹介するレコードだ。それほど人気のあるピアニストではないので注目する人もほんの一握りのマニアだけだと思うが、どこか心に残る不思議な魅力をもつレコードなのだ。

      まずはベートーヴェンの「月光ソナタ」。針を落としてまず気づくのはピアノの音の美しさ。プレイエルなのだろうか?浅めの打鍵で幾分ドライではあるが、濁りのない澄んだタッチのアルペジオが心地よい第一楽章。同じくフレンチ・ピアニズムに身を置いた女流ピアニストのAline van Barentzenが第三楽章で見せたような激情や深刻さはないものの、パッセージを丹念に扱いつつも畳み掛けていく独自のニュアンスが興味深い。詩的な情感を全体に漂わせた後味の良い演奏だ。



      もう一枚のショパンは、ベートーヴェン盤の後に入手。どちらが好みかと言われれば、迷いはするがショパン盤を挙げる。片面に「バラード第1番」、裏は「エチュード作品10-3, 8, 5」という平凡な選曲。録音のせいか実際にピアノがちがうのか定かではないが、ベートーヴェン盤ほどピアノの音色がまず印象として飛び込んでこない。さらに、名演の多い「バラード第1番」ではあるが、個人的にはあまりすすんで聴きたくない曲だ。
      好ましくない条件下だが、途中で針を上げるどころか繰り返し聴いてしまった。ハンガリーの女流にアギ・ヤンポールというピアニストがいるが、彼女の残した「バラード全集」を思い出した。大体「バラード」は必要以上に劇的に演奏される事が多いような気がするが、そういった単純なエモーションは長年ショパンを聴いてきた人間には辛いものがあるのではないだろうか。そんな風に思っている私には、Marie-Madeleine Petitの端正さがとてもありがたいのである。
      こういった大曲の演奏は全体の構成力の重要性がまず挙げられる。その意見におおむね反対ではないが、ショパン演奏においては堅苦しいアカデミズムよりも、もう少し軽い「後味」のような全体の清涼感の方を大切に感じる。またディテールにおいては「瞬間の美」でもかまわないから、そのピアニストならではの詩的な表現を聴かせてほしい。そうでなければどんなにメカニカルがパーフェクトだったとしても、また聴きたいと針を落とすまでにはいたら無い事が多いのだ。

      Marie-Madeleine Petit長々と書いてしまったが、実は私が一番気に入っている演奏は作品10からの三曲のエチュードだ。「別れの曲」は予想どおり清純なピアニズムが功を奏し、理想的なインテンポとレガートの美しい内声部、そして自然なページのめくり方とでも言えばよいのか、息の継ぎ目での間の取り方は絶妙だ。「黒鍵」は遅めのテンポで丁寧に弾かれていて、とくにピアニシモやがんがんと響かせないあたたかな低音部が印象的だ。

      エチュードというと技巧の爽快さとスリルを求めるようなアスリート的な演奏があふれる一方、詩的な演奏が少ないように思う。ここに収められた「エチュード作品10-8」はMarie-Madeleine Petit 出色の演奏というだけでなく、多く名演奏中でも特に記憶に残るもの。技巧的な野心の匂いもなく、一個の音楽としての美しさに無心で耳を傾けることができる。もう少し年長であるIrene Scharrerの10-11あたりの名演レコードの美しさに通じるところがあるかもしれない。10-8にはKleebergのピアノロールや、Effenbachのエンディングが印象的なレコードなどもあるが、私は今や忘れ去られてしまったMarie-Madeleine Petitの「エチュード作品10-8」を絶品だと思っている。



      ショパンの練習曲は、最近12曲もしくは24曲セットでレコード化される事が多いけれど、前奏曲と違ってもともと24曲を聴き通すように作られていない。そして、ピアニストも24曲をそれぞれ魅力的に演奏できる力量のあるピアニストを聴いたことが無い。落穂拾い的ではあるが、こうして名演奏を一曲づつ聴くくらいの方が私には丁度良いのかもしれない。

      今日もしゅるしゅるレコードを磨く。



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